島津忠夫訳注『新版 百人一首』
改版は所蔵も再び全面改訂したという新版を図書館で借り一読するや
座右に備えたく新品で先月購入したのが、
島津忠夫訳注『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,1999)(^^)
百人一首の注釈書・解説書は数あれど、
「一冊だけなら、コレ」と推奨する人もいる本書(^^)
たしかに名著と思うけど、コレ一冊で充分かというと、どうかしら^_^;
昔、本書の「改版」(1973年刊)を購入したのは、
その巻末の「解説」、特に改版の「解説 七 補説」が
百人一首の成立論争を手際よく纏めて解説してると評判だったから。
実際「解説」を読むと小生の如き素人でも理解できるし知的興奮も覚えた(^^)
でも、百人一首そのものには興味もなかったので、
必要な時(例えば、最近なら末次由紀『ちはやふる』を読んだ時とか)にだけ、
歌の「現代語訳」を参照する程度だった^_^;
ところが、先月たまたま図書館で見付けた、
國文學編集部編『百人一首のなぞ』(學燈社[←正字が見付からぬm(__)m],2008)所収の
島津忠夫「「百人秀歌」が先か、「百人一首」が先か」(同書86~89頁)を読んで驚愕(*_*)
角川文庫『百人一首』(昭和四十四年初版)と新版角川文庫『百人一首』(平成十一年刊)
では、「解説」の「選者と成立年代」の説がまったく変わってしまっている。私も、
初めは「百人秀歌」が先と考えていたのが、逆に「百人一首」が先と考えるように
なったのである。
とあったから(同書87頁)。百人秀歌が百人一首より先に成立していたとする通説に
島津は与していたのに、コペルニクス的転回かよ(*_*) 通説の立場で論じられていた
本書「改版」の「解説 七 補説」に得心した小生はどうなる(;_;) アノミーだよ(+_+)
笑えたのが(←知的興趣の意味で)、百人秀歌が先とする通説から百人一首先行説へと
島津が転向したのに、通説に対して百人一首が先ではないかという説を初めて提示した
片桐洋一がその後は百人秀歌から百人一首へという結論に変わったと述べられてる件
(同書86頁)^_^; とまれ、国文学界は論争も結構あるらしく知的誠実さを感じた(^^)
ただ、問題の成立論に関しては、次のように結論付けられていたし(同書89頁)、
・・・「百人一首」は、「百人秀歌」が先か、「百人一首」が先かが問題ではなく、
定家秀歌撰としての「百人一首」の第一次本から第二次本への過程が重要であると私は
考えるのである。そのことは、細かな論点の相違はあるものの、樋口[芳麻呂]氏・・・や、
上条彰次氏・・・の「原百人秀歌」を想定される立場と共通するものを持っている
といえよう。
慌てて図書館で本書「新版」を借りて「解説」の該当箇所を読むも、新たに「原百人一首」
ともいうべき第一次段階のものを「仮説」として提示してはいるものの、それは、
・・・現行の『百人秀歌』に近く、「原百人一首」というよりは「原百人秀歌」と
いった方がふさわしいかも知れない。
とあり(本書「新版」255頁)、ちょっと安心した(^^)
さて、百人一首の成立論に関して、本書の見解が修正されていたことには喫驚したけど、
個々の歌の解釈でも細かく変わっていた一方、やはり名著であることは変わりないので、
本書「新版」も我が蔵書に加えるべく、折角なんで新品を先月ネットで注文・購入(^^)v
ところが、その本書「新版」の新品が拙宅に届いて、小生は吃驚仰天したよ(*_*)
本書「新版」の最終頁には次のような断り書きが載っている。
本書は、昭和四十四年に初版刊行、昭和四十八年の改版を経て、
再度の全面改訂を施した新版である。
図書館で借りた本書「新版」の奥付には、この断り書きの通りの発行年が記載されていた。
昭和四十四年十二月十日 初版発行
昭和四十八年十月二十五日 改版初版発行
平成十一年十一月二十五日 新版初版発行
その図書館は、本書の「新版」が出るとすぐに選書・収集したようで、少し見直したぞ^_^;
んで、拙宅に届いた本書「新版」の奥付の発行年は次のように記載されていた。
昭和四十四年十二月十日 初版発行
昭和四十八年十月二十五日 改版初版発行
平成二十年十月二十日 新版十六版発行
ともに「新版」で断り書きの頁も含めて総頁数318と同じなのに中身は微妙に違うのだ(@_@)
先月購入した本書「新版」十六版は、図書館で借りた本書「新版」初版と比べてみると、
①本書214頁の補注(Ⅰ)の「一」の末尾に新たに一文が加筆されている
②本書229頁の補注(Ⅱ)に新たに「一八六ページ」の3行分が加筆されている
③「解説」末尾の「注」の後(本書300頁)に新たに「補注」として6行分が加筆されている
とりあえず気付いたのは以上だが(他に巻頭「凡例」に2箇所ある「東洋文庫」の頭に「(財)」
が付いた等の加筆も)、遺漏があるだろうし、版の異同チェックは校訂の専門家に任せる(+_+)
実は小生が持ってた本書「改版」の奥付の発行年の記載には違和感を覚えてたんだよね^_^;
昭和四十四年十二月十日 初版発行
昭和四十七年十二月九日 十三版発行
昭和五十九年十一月三十日 改版二十二版発行
本書「新版」4頁の「新版に当たって」には、
・・・初版は初歩的な誤りの多いものとなってしまった。早く訂正したいという思いで、
昭和四十七年には、当時、書店の向かいにあった旅館に一週間ほど閉じ籠り、全面的に改訂
した。形式はもとのままであるが、新しく版を起こしたのである。それからでもすでに
二十八年近くが過ぎている。版を重ねるに当たっては、その都度訂正はして来たが、・・・
とあって、2度の「全面改訂」とは別に、実は細かく「訂正」していたことが判明する^_^;
斯くも細かくひっそり「改訂」されてると、「一冊だけなら、コレ」とは言えないわな^_^;
また小生が先月ネットで注文・購入した本書「新版」の発行年月日を鑑みると、新品とはいえ、
コレが最新版かどうか分からんね(-_-) 更に加筆された「新版××版」が既に出てるかも(+_+)
某大学の演習の参考書に指定されてて「必ず最新版を参照すること」とあるが、無茶だな^_^;
それにしても、本書の著者が研究者として良心的すぎて、本書の(愛)読者は油断できんね^_^;
最後に余談(^^) 次の文章はwikiの「百人一首」の項に記されてる百人秀歌の説明文だが、
小倉百人一首の関連書には、同じく定家の撰に成る『百人秀歌』がある。百人秀歌も
百人一首の形式で、100人の歌人から一首ずつ100首を選んで編まれた秀歌撰である。
『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は、1)「後鳥羽院と順徳院の歌が無く、
代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の歌が入っていること、・・・
書いてて気付かないのは引き算&足し算が出来ないから? やってりゃよかった公文式^_^;
百人秀歌は101人の歌人から一首ずつ選んだもの^^; 国文学に詳しい人が書けよ(`^´)
誤った知識の持ち主でも編集に参加できるwikiこそ、民主主義や一億総活躍を体現かな(..)
[追記151113]
「新版初版」と「新版十六版」の異同を列挙してみたものの、新刊書店にある本書の奥付が
仮に「新版十六版」より新しい版だったとしても、それが内容的にも〈最新版〉かどうかは
もしかしたら「新版十六版」との異同を事細かに毎頁チェックしないと判明しないかも(+_+)
そこで、どうでもいい細かいことのようだけど、誤植と思われる箇所も指摘しておこう^_^;
それは「解説 五 百人一首の注釈書」で紹介し、本文で引用した注釈書の略称に関してで、
改版22版246頁の「百人一首増註」の略称は「増註」なのに同書101頁は「増抄」と誤植^_^;
ところが、新版277頁では「百人一首増注」と書名変更し、略称も「増注」と変えながらも、
同書101頁(上に挙げた例[中納言朝忠の歌の「出典・参考」欄7行目]と全く同じ箇所)は、
・・・『増註』の一説に見え、・・・
と(再び)誤植している(+_+)
島津が気付いて訂正していれば、〈最新版〉のメルクマールになるかもね^_^;
[追記151125]
新古今和歌集へと進んで気付いたけど、上の追記で指摘した改版の誤植は、もしかしたら
「百人一首増註」の著者である加藤磐斎の「新古今増抄」のことを指していたのかな(..)
でも同書は改版には見当たらないし、新版で「増註」としてるから、んなことないか^_^;
ちなみに、この新版の「増註」という誤植は、本文だと他に147、153、197頁にもあるし、
脚注にはかなり頻出しているんだよね(68、116、118[2箇所]、122、134、170頁)^_^;
乗りかかった船で、本書「新版」16版と本書「新版」初版の異同を追加しておこう^_^;
④本書55頁の作者(素性法師)紹介の最終行が補筆・修正されている
改版22版
由性の伝と混同されることが多い。
新版初版
兄を由性とするがその伝は混同が多く、あるいは素性の別名か。
新版16版
兄を由性とするがその伝は混同が多く、『古今集目録』によれば、
由性は素性の別名となる。
⑤本書92頁の平兼盛の歌の脚注三の語釈から「恋になやむことをいう」が削除され、
現代語訳も修正されている
新版初版(現代語訳)
・・・「誰かに恋していらっしゃるのですか」と・・・
新版16版(現代語訳)
・・・「何か心配ごとでもあるのですか」と・・・
⑥本書208頁の従二位家隆の歌の脚注二に田中裕の見解が加筆されている
⑦本書210頁の後鳥羽院の歌が脚注二で改説(「あぢきなく」がかかるのが「よを思ふ」から
「物思ふ」となり、その語釈も修正)があり、現代語訳も修正されている
新版初版(現代語訳)
・・・つまらなく、この世を思うところから、いろいろと物思いを・・・
新版16版(現代語訳)
・・・この世を思うところから、どうしようもなくいろいろと物思いを・・・
⑧本書229頁の補注(Ⅱ)の「一九一ページ」の末尾に一文が加筆されている
他にも、助詞が一字補われたりとか(57頁)、細かい修正点もあるけどね^_^;
新版16版の改版22版と異なる点に付箋を貼ってったら、メチャ多すぎて本の厚さが倍に(+_+)
[追記]
本書新版16版&改版22版
石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)
安東次男『百人一首』(新潮文庫,1976)
以上の4冊を読み比べた記事を2015.11.4付でアップ(^^)
http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-11-04
[追記]
目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫,2005)については下記ブログで(^^)
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-09-24
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-05
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-06
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-07
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-09
座右に備えたく新品で先月購入したのが、
島津忠夫訳注『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,1999)(^^)
百人一首の注釈書・解説書は数あれど、
「一冊だけなら、コレ」と推奨する人もいる本書(^^)
たしかに名著と思うけど、コレ一冊で充分かというと、どうかしら^_^;
昔、本書の「改版」(1973年刊)を購入したのは、
その巻末の「解説」、特に改版の「解説 七 補説」が
百人一首の成立論争を手際よく纏めて解説してると評判だったから。
実際「解説」を読むと小生の如き素人でも理解できるし知的興奮も覚えた(^^)
でも、百人一首そのものには興味もなかったので、
必要な時(例えば、最近なら末次由紀『ちはやふる』を読んだ時とか)にだけ、
歌の「現代語訳」を参照する程度だった^_^;
ところが、先月たまたま図書館で見付けた、
國文學編集部編『百人一首のなぞ』(學燈社[←正字が見付からぬm(__)m],2008)所収の
島津忠夫「「百人秀歌」が先か、「百人一首」が先か」(同書86~89頁)を読んで驚愕(*_*)
角川文庫『百人一首』(昭和四十四年初版)と新版角川文庫『百人一首』(平成十一年刊)
では、「解説」の「選者と成立年代」の説がまったく変わってしまっている。私も、
初めは「百人秀歌」が先と考えていたのが、逆に「百人一首」が先と考えるように
なったのである。
とあったから(同書87頁)。百人秀歌が百人一首より先に成立していたとする通説に
島津は与していたのに、コペルニクス的転回かよ(*_*) 通説の立場で論じられていた
本書「改版」の「解説 七 補説」に得心した小生はどうなる(;_;) アノミーだよ(+_+)
笑えたのが(←知的興趣の意味で)、百人秀歌が先とする通説から百人一首先行説へと
島津が転向したのに、通説に対して百人一首が先ではないかという説を初めて提示した
片桐洋一がその後は百人秀歌から百人一首へという結論に変わったと述べられてる件
(同書86頁)^_^; とまれ、国文学界は論争も結構あるらしく知的誠実さを感じた(^^)
ただ、問題の成立論に関しては、次のように結論付けられていたし(同書89頁)、
・・・「百人一首」は、「百人秀歌」が先か、「百人一首」が先かが問題ではなく、
定家秀歌撰としての「百人一首」の第一次本から第二次本への過程が重要であると私は
考えるのである。そのことは、細かな論点の相違はあるものの、樋口[芳麻呂]氏・・・や、
上条彰次氏・・・の「原百人秀歌」を想定される立場と共通するものを持っている
といえよう。
慌てて図書館で本書「新版」を借りて「解説」の該当箇所を読むも、新たに「原百人一首」
ともいうべき第一次段階のものを「仮説」として提示してはいるものの、それは、
・・・現行の『百人秀歌』に近く、「原百人一首」というよりは「原百人秀歌」と
いった方がふさわしいかも知れない。
とあり(本書「新版」255頁)、ちょっと安心した(^^)
さて、百人一首の成立論に関して、本書の見解が修正されていたことには喫驚したけど、
個々の歌の解釈でも細かく変わっていた一方、やはり名著であることは変わりないので、
本書「新版」も我が蔵書に加えるべく、折角なんで新品を先月ネットで注文・購入(^^)v
ところが、その本書「新版」の新品が拙宅に届いて、小生は吃驚仰天したよ(*_*)
本書「新版」の最終頁には次のような断り書きが載っている。
本書は、昭和四十四年に初版刊行、昭和四十八年の改版を経て、
再度の全面改訂を施した新版である。
図書館で借りた本書「新版」の奥付には、この断り書きの通りの発行年が記載されていた。
昭和四十四年十二月十日 初版発行
昭和四十八年十月二十五日 改版初版発行
平成十一年十一月二十五日 新版初版発行
その図書館は、本書の「新版」が出るとすぐに選書・収集したようで、少し見直したぞ^_^;
んで、拙宅に届いた本書「新版」の奥付の発行年は次のように記載されていた。
昭和四十四年十二月十日 初版発行
昭和四十八年十月二十五日 改版初版発行
平成二十年十月二十日 新版十六版発行
ともに「新版」で断り書きの頁も含めて総頁数318と同じなのに中身は微妙に違うのだ(@_@)
先月購入した本書「新版」十六版は、図書館で借りた本書「新版」初版と比べてみると、
①本書214頁の補注(Ⅰ)の「一」の末尾に新たに一文が加筆されている
②本書229頁の補注(Ⅱ)に新たに「一八六ページ」の3行分が加筆されている
③「解説」末尾の「注」の後(本書300頁)に新たに「補注」として6行分が加筆されている
とりあえず気付いたのは以上だが(他に巻頭「凡例」に2箇所ある「東洋文庫」の頭に「(財)」
が付いた等の加筆も)、遺漏があるだろうし、版の異同チェックは校訂の専門家に任せる(+_+)
実は小生が持ってた本書「改版」の奥付の発行年の記載には違和感を覚えてたんだよね^_^;
昭和四十四年十二月十日 初版発行
昭和四十七年十二月九日 十三版発行
昭和五十九年十一月三十日 改版二十二版発行
本書「新版」4頁の「新版に当たって」には、
・・・初版は初歩的な誤りの多いものとなってしまった。早く訂正したいという思いで、
昭和四十七年には、当時、書店の向かいにあった旅館に一週間ほど閉じ籠り、全面的に改訂
した。形式はもとのままであるが、新しく版を起こしたのである。それからでもすでに
二十八年近くが過ぎている。版を重ねるに当たっては、その都度訂正はして来たが、・・・
とあって、2度の「全面改訂」とは別に、実は細かく「訂正」していたことが判明する^_^;
斯くも細かくひっそり「改訂」されてると、「一冊だけなら、コレ」とは言えないわな^_^;
また小生が先月ネットで注文・購入した本書「新版」の発行年月日を鑑みると、新品とはいえ、
コレが最新版かどうか分からんね(-_-) 更に加筆された「新版××版」が既に出てるかも(+_+)
某大学の演習の参考書に指定されてて「必ず最新版を参照すること」とあるが、無茶だな^_^;
それにしても、本書の著者が研究者として良心的すぎて、本書の(愛)読者は油断できんね^_^;
最後に余談(^^) 次の文章はwikiの「百人一首」の項に記されてる百人秀歌の説明文だが、
小倉百人一首の関連書には、同じく定家の撰に成る『百人秀歌』がある。百人秀歌も
百人一首の形式で、100人の歌人から一首ずつ100首を選んで編まれた秀歌撰である。
『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は、1)「後鳥羽院と順徳院の歌が無く、
代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の歌が入っていること、・・・
書いてて気付かないのは引き算&足し算が出来ないから? やってりゃよかった公文式^_^;
百人秀歌は101人の歌人から一首ずつ選んだもの^^; 国文学に詳しい人が書けよ(`^´)
誤った知識の持ち主でも編集に参加できるwikiこそ、民主主義や一億総活躍を体現かな(..)
[追記151113]
「新版初版」と「新版十六版」の異同を列挙してみたものの、新刊書店にある本書の奥付が
仮に「新版十六版」より新しい版だったとしても、それが内容的にも〈最新版〉かどうかは
もしかしたら「新版十六版」との異同を事細かに毎頁チェックしないと判明しないかも(+_+)
そこで、どうでもいい細かいことのようだけど、誤植と思われる箇所も指摘しておこう^_^;
それは「解説 五 百人一首の注釈書」で紹介し、本文で引用した注釈書の略称に関してで、
改版22版246頁の「百人一首増註」の略称は「増註」なのに同書101頁は「増抄」と誤植^_^;
ところが、新版277頁では「百人一首増注」と書名変更し、略称も「増注」と変えながらも、
同書101頁(上に挙げた例[中納言朝忠の歌の「出典・参考」欄7行目]と全く同じ箇所)は、
・・・『増註』の一説に見え、・・・
と(再び)誤植している(+_+)
島津が気付いて訂正していれば、〈最新版〉のメルクマールになるかもね^_^;
[追記151125]
新古今和歌集へと進んで気付いたけど、上の追記で指摘した改版の誤植は、もしかしたら
「百人一首増註」の著者である加藤磐斎の「新古今増抄」のことを指していたのかな(..)
でも同書は改版には見当たらないし、新版で「増註」としてるから、んなことないか^_^;
ちなみに、この新版の「増註」という誤植は、本文だと他に147、153、197頁にもあるし、
脚注にはかなり頻出しているんだよね(68、116、118[2箇所]、122、134、170頁)^_^;
乗りかかった船で、本書「新版」16版と本書「新版」初版の異同を追加しておこう^_^;
④本書55頁の作者(素性法師)紹介の最終行が補筆・修正されている
改版22版
由性の伝と混同されることが多い。
新版初版
兄を由性とするがその伝は混同が多く、あるいは素性の別名か。
新版16版
兄を由性とするがその伝は混同が多く、『古今集目録』によれば、
由性は素性の別名となる。
⑤本書92頁の平兼盛の歌の脚注三の語釈から「恋になやむことをいう」が削除され、
現代語訳も修正されている
新版初版(現代語訳)
・・・「誰かに恋していらっしゃるのですか」と・・・
新版16版(現代語訳)
・・・「何か心配ごとでもあるのですか」と・・・
⑥本書208頁の従二位家隆の歌の脚注二に田中裕の見解が加筆されている
⑦本書210頁の後鳥羽院の歌が脚注二で改説(「あぢきなく」がかかるのが「よを思ふ」から
「物思ふ」となり、その語釈も修正)があり、現代語訳も修正されている
新版初版(現代語訳)
・・・つまらなく、この世を思うところから、いろいろと物思いを・・・
新版16版(現代語訳)
・・・この世を思うところから、どうしようもなくいろいろと物思いを・・・
⑧本書229頁の補注(Ⅱ)の「一九一ページ」の末尾に一文が加筆されている
他にも、助詞が一字補われたりとか(57頁)、細かい修正点もあるけどね^_^;
新版16版の改版22版と異なる点に付箋を貼ってったら、メチャ多すぎて本の厚さが倍に(+_+)
[追記]
本書新版16版&改版22版
石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)
安東次男『百人一首』(新潮文庫,1976)
以上の4冊を読み比べた記事を2015.11.4付でアップ(^^)
http://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-11-04
[追記]
目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫,2005)については下記ブログで(^^)
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-09-24
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-05
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-06
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-07
http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-09
2015-11-02 14:01
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