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半藤一利『日本のいちばん長い日 決定版』

昭和天皇とスージーの出会いよりも昭和天皇に8月15日の何時に会えたのか気になる人が^_^;

半藤一利『決定版 日本のいちばん長い日』(文春文庫,2006)
大宅壮一編『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(角川文庫,1973)

チト思い出したことがあって、前に読んだこの2冊を取り上げる(^^)

後者は「いろいろな事情」で大宅の名を冠した、と前者の「あとがき」(文春版360頁)は記すが、
後者の「あとがき」(角川版315頁)では、

  ・・・取材にもとづいてプロローグは安藤満、本文を半藤一利が書いたことを、
  ここに明確にしておきたい。

と力強く断言していたのが、前者の「あとがき」の末尾(文春版362~363頁)では、
安藤満と(後者「あとがき」に出てこない)竹中巳之が「取材」の一部を担ったことへの感謝の念を
記すだけなのは、歴史家として如何なものだろうか^_^;

とまれ、この『日本のいちばん長い日』は大きな感銘を受けた良書(^^)
個人的には「エピローグ」で紹介されている〈田中軍司令官の自刃〉でジワっときた(;_;)
この東部軍管区司令官・田中静壹陸軍大将に関する本書の記述に気になる点があった(-_-)
それは叛乱鎮圧後の15日「午前七時~八時」の章(角川版263~264頁=文春版310~312頁)。

  十七人の男たちに最大の喜びをもたらした殊勲者田中軍司令官は、このころ藤田侍従長の
  前で低く頭をさげていた。「侍従長から深く、陛下にお詫び申しあげておいてください。
  田中の出動が一歩おくれたために、陛下にまでご迷惑をおかけして申訳ない」/
  藤田侍従長は、あまりになんども丁寧にお詫びの言葉を語る軍司令官を、このまま規則に
  違反してでも、陛下の御前におつれしようかと思うのだった。/田中軍司令官は、御文庫を
  でると副官ならびに三井侍従をつれて、宮内省に車を走らせた。そこにはまだ叛乱の余燼が
  くすぶっていた。蓮沼侍従武官長は軟禁されていたし、木戸、石渡の両大臣は金庫室から
  でることもならないでいた。そして一室には、ひとりのこった叛乱軍の主謀者古賀少佐が、
  無力感にさいなまれながら、ぼんやりと椅子に腰かけていた。そして外部は着剣の歩哨が
  とりまいている。しかし田中軍司令官はすこしも恐れなかった。車を乗入れると、「軍司令官だ、
  道をひらけ!」と叱呼しつつ、宮内省のなかに入っていった。/蓮沼侍従武官長は、
  田中軍司令官の姿をみとめた瞬間、夜来の緊張のとけていくのを感じた。
  「まことに申訳ないことをしました。恐懼の至りにたえません。深くお詫び申しあげます」と
  軍司令官はいった。「困ったことをしてくれたな。それでいったいどうした事情なのだ」と
  蓮沼武官長が聞くのに、田中軍司令官はいままでのいきさつを説明した。/蓮沼武官長は、
  はじめて知った危険な事情に、思わず嘆声をもらした。「それは本当によくやってくれた。
  それにしても森[赳・近衛師団長]には気の毒なことになった」/「いや、まったく惜しい軍人を
  殺しました。責任を痛感しております」といいながら、軍司令官は表情に悲痛な翳を走らせた。
  /七時三十五分、蓮沼武官長は御文庫に参上、天皇に拝謁した。武官長は昨夜の模様を
  報告、田中軍司令官の適切な処置で事件は収拾されたこと、森師団長が殉職したことなどを
  言上した。天皇は、森師団長の死に暗然とした。/天皇はいった。「それで田中にはいつ
  会ったらよいか」/侍従武官長は答えた。「ご都合次第で結構でありますが、午後五時ごろ
  ではいかがでございますか」/天皇は承諾した。「田中にその旨伝えておくように――」/

なお、侍従武官長発言中「ご都合次第で結構でありますが、」の文言は文春版312頁では欠落(..)

さて、この後、8月15日の「午後五時ごろ」に、田中軍司令官は陛下に会えたのだろうか?
残念ながら、本書の最終章は15日の「午前十一時~正午」であり、ラジオから流れてくる
玉音放送に陛下が聴き入ってるシーンで終わるため、田中軍司令官が陛下に拝謁する場面は
描かれてない(+_+)

実は、この件(上記引用部分)を読んだ時、疑問を感じた(..)
上記引用部分にも登場する、藤田尚徳侍従長の回顧録、『侍従長の回想』(中公文庫,1987)は、
本書の「参考文献」にも挙げられているし(角川版312頁=文春版364頁)、
この叛乱に関しては、「録音盤争奪事件」という章(同書148~159頁)もある(^^)
その関連箇所(同書153~154頁)を引くと、

  夜が白むころになって、近衛師団にも事態は明確になり、平静をとりもどしてきた。
  東部軍司令官田中静壱大将は単身、反乱軍のなかに挺身して、その非を諭していた。
  森師団長を殺害して、偽の師団命令で兵を動かしていた反乱首脳者たちも、坂下門守衛所の
  一室で田中大将に、その不心得を諭されて、事の敗れたのを知って後に自決した。/
  田中大将は、単身御文庫に進んで、陛下への奏上を申出た。反乱を部下が惹き起したことに
  対して、陛下にお詫びを言上するとともに、すでに鎮圧したことを陛下に奏上したいとのこと
  であった。/夜来の活動に表情をこわばらせた田中大将は、書見室で陛下に拝謁し、
  深く叩頭して御文庫周辺までを騒がせた将兵の罪を詫びた。かつて地下壕の建設には、
  軍司令官ながら率先して工兵隊と共に奉仕し、宮城守護を誓った忠誠な軍人である
  田中大将は、胸中深く責任を感じていたようだ。/退出する時にも私に、「侍従長から深く、
  陛下にお詫び申上げておいて下さい。田中の出動が一歩遅れたために、陛下にまで
  ご迷惑をおかけして申訳ない」と丁寧に何度も、お詫びの言葉を語ったのであった。/
  大内山に朝が訪れていた。歴史的な八月十五日であった。玉音放送は予定どおり正午に
  日本放送協会から行われ、電波にのって全国津々浦々に終戦を伝えた。

なお、この章は次の文章(同書158頁)の後に7人の名前を列挙して〆られている(;_;)

  阿南陸相につづいてその後次の人々が自決して果てた。そのなかには、
  田中静壱大将の名もあった。

ちなみに、『日本のいちばん長い日』の「エピローグ」の〈田中軍司令官の自刃〉には、

  宮城、大宮御所、明治神宮など、田中軍司令官が生命を賭して守らねばならぬところが、
  つぎつぎと空襲で炎上していった。そのたびに軍司令官は進退伺いをだしていたが、
  かえって慰留のお言葉を天皇からもらった。大将としては天皇にささげる命が
  いくつあっても足りない思いでいっぱいであったのであろう。

とあり(角川版294頁=文春版352頁)、田中軍司令官が藤田侍従長に対し、
陛下への「お詫びの言葉」を「丁寧に何度も、・・・語った」、その心情も理解できよう(;_;)

さてさて、藤田侍従長の回想録の上記引用箇所を丁寧に読んでみれば、
15日の「午後五時ごろ」ではなく、15日の「朝が訪れ」る前に、
田中軍司令官は陛下に拝謁してるじゃん(@_@;)

また、田中軍司令官が藤田侍従長に語った陛下への「お詫びの言葉」

  侍従長から深く、陛下にお詫び申上げておいて下さい。田中の出動が一歩遅れたために、
  陛下にまでご迷惑をおかけして申訳ない

これを『日本のいちばん長い日』は陛下への拝謁前の発言として描いてるけど、
そうではなく、陛下に拝謁した後で書見室から「退出する時」のことと、
藤田侍従長(同発言の聞き手!)は証言してるじゃん(@_@;)

藤田の『侍従長の回想』は『日本のいちばん長い日』の「参考文献」の一つに挙げられてるけど、
他の文献 or 誰かの証言(回想談)に拠り、藤田侍従長の回想録の当該両記述は誤りと判断して、
半藤は『日本のいちばん長い日』の如く描写したのだろうか(..)

でも、「田中大将は、単身御文庫に進んで、陛下への奏上を申出た。」とあるから、
藤田侍従長の回想によれば、田中軍司令官は「単身」、つまり「副官」(塚本清少佐)等も連れずに、
御文庫に来て、書見室で陛下に拝謁し(モチ侍従長が侍立したはず)、退出したわけで、
これを反証できる人物がいるのかしら(..)

また、『日本のいちばん長い日』は、

  藤田侍従長は、あまりになんども丁寧にお詫びの言葉を語る軍司令官を、
  このまま規則に違反してでも、陛下の御前におつれしようかと思うのだった。

という風に藤田侍従長の〈心の中〉も描写しているが、藤田の『侍従長の回想』には、
このような藤田侍従長の〈内心〉を吐露してる記述は(上記引用からも明白だが)見当たらない(-_-)

文春版「あとがき」には「三十年前の当時、無理にも回想談をお願いしご迷惑をおかけした人びとを、
改めて記しておきたい。」として、「取材」した人々の名前を列挙しているが(同361~362頁)、
その中にも藤田侍従長の名前はないので、『侍従長の回想』には書かなかった当時の〈心理〉を、
藤田尚徳本人から「取材」で聞き出したわけでもない(-_-)

その時の〈心意〉を藤田侍従長が何かのインタヴューに答えてたとか、誰かに語っていたりして、
それが載っている文献があり、本書が挙げた「参考文献」の中にあるのかしら(..)

でも、この藤田尚徳『侍従長の回想』は2015年に講談社学術文庫に入ったけど、
本文や「解説」(保阪正康)を見た限り、上記2点が誤りである旨は勿論のこと、
そのような文献があるという注記や指摘はなかった^_^;

『日本のいちばん長い日』が『侍従長の回想』とかくも矛盾する記述にしたソースを知りたいね(..)
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コメント 2

ws224847

この映画は、旧作、新作(昨年上映)とも視ました。
by ws224847 (2016-12-11 17:36) 

middrinn

コメントありがとうございますm(__)m
小生は両方とも観てないです^_^; 旧作の方は観たいのですが^_^;
貴ブログのメジロの写真が愛らしく撮れてて良かったです(^^)
メジロも好きですけど、ヒヨドリも好きで、両方とも庭に来るのですが、
「”蜜のお食事場”の天敵」だったとはびっくりです(@_@;)
貴ブログの写真、楽しみにしております(^^)
by middrinn (2016-12-11 19:52) 

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