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石田吉貞『百人一首評解』

古文は苦手で歌の良し悪しも分らぬ無粋な素人が
無謀にも百人一首の注釈書を3冊読み比べてみた^_^;

前回取り上げた
島津忠夫訳注『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,1999)を図書館で借り、
その「解説」を読んだ後、少しは教養でもつけようかと、
最初から一首ずつ読むことに(^^)

折角なんで、ほぼ死蔵状態だった
島津の同書「改版」22版(角川文庫,1984.11.30発行)および
我が書庫で朽ち果てかけてる次の2冊と併読した^_^;

石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)
安東次男『百人一首』(新潮文庫,1976)

石田の本書は、島津の同書の「解説 五 百人一首の注釈書」においても、

  百人一首注釈書中の白眉。

と高く評価され(改版252頁、新版286頁)、同書中よく引用されている(^^)
一般的にも百人一首注釈書の定番と長年されてきた本らしいが、
版元が倒産しちゃった(;_;)

石田のポレミックな研究姿勢は本書「はしがき」からも伝わってくるね(^^)

  百人一首の書誌的研究は、最近に至っていちじるしく進みましたが、その註釈的研究は、
  近世の契沖や景樹の研究に比べると、ひどく見劣りします。子女の玩び物だという意識が
  執拗につきまとって、研究的に見て調子のひくいものが多く、近世の学者たちの、真剣を
  ぬいてたちむかったような意気込みは、とうてい見ることはできません。また歌の鑑賞に
  至ると、かなりすぐれたものもありますが、ただ一つ、定家的鑑賞をかえりみていない
  という点においては、どの書も大きく欠けております。・・・/学問的態度において
  近世以前にかえり、鑑賞において定家にかえりたいという私の願いは、一口に言えば、
  百人一首に対する中世的態度にかえりたいということであるかも知れません。

勿論、この記述(本書1頁)は、その刊行年に留意して読むべきだろうけど^_^;

安東のは、その「あとがき」によると、1972年12月の「別冊太陽」創刊号が初出で、
同『百首通見』(集英社,1973→ちくま学芸文庫,2002)を補筆・改稿したものだが、
もはや同書は「・・・新しい本と考えてもらってもよい。」(同書287頁)由。

島津「解説 五 百人一首の注釈書」は同書を次のように評してる(改版253頁、新版287頁)。

  『百人秀歌』の並びに一首一首留意し、新見が多い。

でも、「改版」では「補注(Ⅱ)」の2箇所で安東の興味深い同書見解を引用紹介してたけど、
ともに「新版」では削除されてた^_^; 「新版」となって、総頁数自体は増えたのにねぇ(..)

安東が同書で百人秀歌の配列に拘った目的は、

  もっとも、百首の単なる評釈にとどまらず、定家の選んだ原意図を明らかにしたい、
  というもともとの気持ちには変りない。「百人秀歌」を巻首に据えたゆえんである。

と「あとがき」(同書287頁)にあることからも読み取れるだろう。

島津も「改版」「新版」ともに「はしがき」で次のように宣言しているので(同書3頁)、

  ・・・定家撰という立場から、現代語訳も鑑賞も施したことである。原作者の詠作意図
  よりは、定家がどう解釈し、どう評価していたかに重点を置こうとするのである。
  従って通説と異なる点も多く、時には定家の誤解と見られる点もそのままに現代語訳を
  施しているが、それらは、すべて語釈または参考でその旨をことわっておいたので特に
  一首取り出してよまれる場合には注意してほしい。

3人とも撰者定家の視点に立って解釈・鑑賞する姿勢は共通すると小生は理解した次第(^^)

でも、島津は「解説 四 百人一首の解釈ということ」で指摘する(改版239頁、新版268頁)。

  ・・・従来、定家撰という立場から徹底して解釈を施した注釈書はなかったといってよい。
  石田吉貞氏の『評解』が、その「鑑賞」の点では、定家の撰歌意識に触れられているが、
  解釈においてはなお『百人一首』の歌を、その出典である勅撰集中の一首にもどして解釈
  する従来の立場と変わりはない。本書では、あえて『百人一首』の歌として、撰者定家の
  解釈という立場で通してきた。

キビシー(+_+) でも、その代償として、島津の同書の解釈は、「原作者の詠作意図」も離れ、
「通説」とも異なり、「時には定家の誤解と見られる点もそのままに現代語訳を施している」
こともあるというのだから、島津の同書は小生のような初心者は「注意」して読まなきゃ(..)

島津の同書を読む際は他にも要注意で、例えば、中納言行平の歌の「鑑賞」(同書44頁)に

  一首のうちに二つの掛詞が用いられた技巧もこの種の挨拶の歌としては、
  いかにもふさわしいし、・・・

とあり、「脚注三」で次のように掛詞の一つは解説されてるけど(同書44頁)、

  「松」と「待つ」の掛詞。

もう一つの掛詞が、この在原行平の歌を解説した同書44~45頁のどこにも出てないのだ(+_+)

巻末「解説 四 百人一首の解釈ということ」を読むと、この行平の歌の「いなばの山」への
次のような石田の「語釈」(本書75頁)が引用されていて(改版240頁、新版269頁)、

  「稲葉」に「往なば」をかけてある。

もう一つの掛詞がやっと判る^_^; もしかしたら、同書44頁の「脚注一」に載ってる次の記述

  ・・・いなばはゆきなばと云ふ心也」(顕註密勘)。・・・

島津がコレでもう一つの掛詞を解説してたつもりなら、小生のような初心者には不親切(;_;)

なお、島津の同書の特色として、

  ・・・室町時代から江戸初期に至って書かれた古註釈、いわゆる旧注[同書5頁「凡例」や
  本文では「古注」とも表記してる]を多く参照したことである。もとより契沖以下の新注、
  現代の諸注もできる限り参考とし、・・・

と「はしがき」(同書3頁)にある点と「解説 三 百人一首の撰歌意識」(新版267頁)の

  なお、今度の改訂を通じて、『源氏物語』の思いうかべられる歌や、歌説話を生じている歌
  が、好んで取り入れられていること、さらに、撰歌に当たっても、後鳥羽院をかなり意識
  していること、とくに後鳥羽院、順徳院歌など末尾の改訂にはそれがいちじるしいことに
  改めて気づいたが、それぞれの歌の「鑑賞」に述べたので、繰り返さないことにする。

という諸点は、百人一首研究史における同書の意義として重要っぽいから一応メモ(^^)

以下は超ドレッドノート級くらい和歌に詳しくないド素人の感想なので御容赦されたいm(__)m

先ず思ったのが、小生のような初心者は、3冊を併読してマジで良かった、ということ(^^)

併読のお蔭で各著者の解釈・語釈や鑑賞、紹介されてる諸説の文意が理解できたこと度々で、
どれか1冊だけを読んでいたら、多分その本を充分に味読できないまま読了してたはず^_^;

1首を文庫本2頁で現代語訳、語釈、鑑賞、出典・参考、作者紹介の島津には無理がある^_^;

例えば、島津は陽成院の歌の「鑑賞」を次の一文から始めている(同書38頁)。

  釣殿のみことよばれた綏子内親王(光孝天皇の皇女)に恋情をうったえられた歌で、
  ほのかに思いそめたことが、深い思いとなったことを、かすかな水がつもって淵となるのに
  たとえて、一気によみきったところに、狂気にわずらわされて数奇な生活を送った
  院の心のたかぶりが見える。

これを読んで、精神を病んだ男がストーカー的片思いで焦がれた歌かよっ?!ととったけど、
綏子内親王が陽成院の後宮に入って陽成妃となったことは、石田70頁も安東64頁も記してて、
その史実を島津は書き漏らしちゃダメだろ(-_-) これって小生の曲解と揚げ足取りかしら^_^;

なお、陽成院の狂気・行状説話は政治的に造作されたもので、実は「暴虐」でも「狂気」でも
なかったと、倉本一宏『平安朝 皇位継承の闇』(角川選書,2014)が主張してる^_^; 同書は
何ヶ月も前に読了しノートもしたけど、参照したい文献が入手できず未だにアップできず^_^;

島津のは「補注(Ⅰ)」「補注(Ⅱ)」が巻末にあるけど、情報量が石田のと違いすぎ(+_+)

島津の前記立場からは不要かもしれないけど、他の説・解釈も載せてほしいし、島津の後に
「諸説」欄も設ける石田を読むと、そんなに見解が分かれ多くの説があるのかと吃驚も(@_@)

また石田のは関連する知識も得られて面白い(^^) 例えば、在原業平朝臣の歌では、「朝臣」が

  (1)三位以上は氏の下に朝臣を書いて名を書かない。例えば「藤原朝臣」。(2)四位は
  名の下に朝臣を事く[←「書く」の誤植?]。例えば「業平朝臣」又は「藤原業平朝臣」。
  (3)五位は氏の下に朝臣を書きその下に名を書く。例えば「藤原朝臣某」。(4)六位以下
  は氏名だけを言って朝臣を用いない。例えば「藤原某」。

という風に区別して用いられたことまで紹介されてる(本書78頁)(^^)

他方で、石田のは参議篁の歌の「鑑賞」の項(本書66頁)で、

  同じ作者[小野篁]が、この隠岐へ流される途中、同じ船の中で作った詩が、
  『和漢朗詠集』に出ている。

として、その詩の原文だけでなく次のような訳まで載せてて、小生的には有難かったけど、

  風しずまって港を出ようとする船の上から、/流謫の島がはっきり見えるよ、
  遠い浪のかなたに
    
これを読むと、篁の歌の「こぎ出でぬと」の「語釈」で「これは難波をこぎ出たのである。」
(本書65頁)と解するのは変だろ^_^; 大阪湾から隠岐の島が「見える」わけないがな(+_+)

島津は、この歌の「鑑賞」を、改版34頁では、「流罪となって、今遠く配所に向かって、難波
(大阪)の浦から舟出をしたのである。」と書き出していたけど、新版34頁では「難波(大阪)
の浦から」という部分のみ削除し、補注(Ⅱ)には新たに次のように加筆してた(新版224頁)。

  契沖以来難波の浦から船出したと考えられていたが、その根拠は示されていない。事実は
  山陰道または山陽道経由の陸路を辿り、出雲の千酌駅(境港の東)から隠岐に船で向かった
  のである。従って、八十島は隠岐の島々を指すと考えられる。それは後鳥羽院の隠岐配流
  の道(承久記)からも考えられる。川村晃生氏「八十島かけて考」・・・参照。

こちらの隠岐配流ルートはナルホドと納得しました(^^) ただ、隠岐諸島より瀬戸内海の方が
八十島=「多くの島々」という形容に合致する気もするけど隠岐諸島も小島が多いらしい^_^;

各歌の鑑賞に関しては、島津のあっさりした「鑑賞」を読んだ後で、石田の「鑑賞」を読むと、
読んでて気恥ずかしくなるクサさも時にあるけど、文学的というか、物語を読んでいるようで、
情景も巧みに描き出してくれてて、実に読み応えがある(^^) 趣味や好みの問題だけどね^_^;

安東も1首あたり文庫本約2~3頁と情報量は少ないが、百人秀歌での配列からの解釈を始め、
鋭い切り口の評があって感服させられた(^^) 例えば、天智天皇の歌に関して、「この歌の心を、
農民の労苦を思いやったものだとする解が一般に行われているようだが、それは徳川時代以降
の農民観である。」(同書35頁)といった風。ただ、仁徳天皇の民のかまどの逸話があるけど、
アレは農民ではないのかしら^_^; あと、安東は巻頭の「百人一首のこと」も興味深かった(^^)

以上、どれも良かった(^^) 石田を推しメン(?)と思われそうだが、島津や安東も読んだから
石田の文意が初めて理解できた件もあり、やっぱ併読(^^)v「一冊だけなら、コレ」は無理^_^;

石田吉貞『新古今和歌集全註解』(有精堂出版,1960)も30年前に新品購入(定価14000円!)
したまま死蔵状態なので、次に挑戦したいけど、併読すべき注釈書が手元にないんだよね^_^;

[追記151104]
アップしたのを見直してて、詩歌では現実には見えなくても「見える」と表現するような気が^_^;
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mimimomo

こんにちは^^
middrinnさんが初心者でこれだけ書けるとすると、わたくしは
何と言えば良い・・・チョー初心者? いやいやそこまでも行かないわ。
by mimimomo (2018-11-13 12:31) 

middrinn

これを書いた時は、正真正銘のド素人・初心者で、
和歌に関心を持ったのは、コレ以降ですね(^_^;)
そのせいか、初心者向きに書かれてる記事らしく、
今だったら他にもっと書きたいことあります^_^;
by middrinn (2018-11-13 12:45) 

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