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中村真一郎『女たち』

読書とは他人にものを考えてもらうことであり、
多読によって人は自分でものを考える力を失っていくと喝破したのは
ショウペンハウエル『読書について 他二篇』(岩波文庫,1960→83改版)127~128頁(^^)
本を読むという行為は他人の思考過程を辿るだけとの同書の指摘を踏まえると、
本は読み方が肝要で、無批判に唯ひたすら著者のお説拝聴では思考力を衰えさせるし、
また徒に多く読むものでもない、ということかしら(^^)

同書は確実に読んだ記憶があるが、同書とともに本棚に並んでいるのが(著者名は原文ママ)

ショウペンハウエル『自殺について 他四篇』(岩波文庫,1952→79改版)
ショーペンハウエル『知性について 他四篇』(岩波文庫,1961)
ショーペンハウアー『幸福について~人生論』(新潮文庫,1958→73改版)

どれも読んだ記憶もなけりゃ、その痕跡(付箋)もなかった(-_-)
それゆえショーペンハウアーの哲学・思想は、その読書論しか知らない(;_;)
でも、ショーペンハウアーがフルートを吹いていたことは知ってる(^^)v

御多分に漏れず、庄司薫『ぼくの大好きな青髭』を読んだからだけど(^_^;)
同書は1980年と2002年改版の中公文庫、2012年の新潮文庫版の計3冊持ってるし、
同『赤頭巾ちゃん気をつけて』に至っては1973年と1995年改版と2002年改版の中公文庫に
2012年の新潮文庫版と計4冊も買う羽目に(+_+)。なぜなら、たった2~5頁とはいえ、
「四半世紀たってのあとがき」と「あわや半世紀のあとがき」が付いてたから(^_^;)
安彦良和『王道の狗』も中公文庫版で揃えたけど、いしかわじゅんによる酷評に反論した
「あとがき」を読みたくて白泉社版第4巻も買ったし、本棚が足りず蔵書が溢れるわけだ(+_+)
なお、赤・白・黒・青の4部作はどれも名作だよね(^^) でも、大衆受けはしないだろうけど、
福田章二(庄司薫)『喪失』(中公文庫,1973)収録の3篇の方が芸術的で好き(^^)

さて、非常に読み応えのある「読書名人伝」特集のノーサイド1995年5月号を捲ってたら、
坪内祐三が「読書王ナンバー1は誰か」と題した一文で次のように書いてた(同誌92頁)。

  中村真一郎といえば現代の作家の中でももっとも多読家の一人であるが、・・・

中村真一郎の多読ぶりは有名なので、「わが読書」を特集した季刊リテレール第3号(冬号
1992)掲載の中村の「これまでに読んだ何万冊からの、とりあえずのベスト」を基に(以下、
引用は全て同誌44~45頁)、その「生涯つづく濫読」を戯れにトレースしてみる(^^)

  ・・・読書は登山と同じで、ひとつの嶺を征服したと思うと更にその先に広大な視野が
  拡がって、きりがないのである。私は焦燥のあまり、ほとんど絶望した。

この件には共感する人が多いかも(^^) このように「ほとんど絶望し」ていた中村だったが、
小林秀雄から「この人類の無限の宝庫の征服のための手段」を教わったのは旧制高校に入学
した17歳の春(^^)

  それは、極めて簡単な解決法で、毎日、同時に十冊くらいの本を読みすすめればいい、
  というのだった。

「同時に十冊くらいの本」だけでも凄いが、「毎週のはじめに、その週の読書予定表を作り」、
古代哲学、近代哲学、西洋古典、中国古典、日本古典、近代西洋詩、同じく小説、同じく戯曲、
同じく評論、次に日本の・・・とカテゴリーを設け、各欄に書名を書き入れ毎週読み終える度
に更新する。古今東西の古典・作品に通暁するはずで、まさに「中村真一郎」たる所以(^_^;)

  ところが、大学生になって知り合った堀辰雄さんが、そうした私のきりのない
  雑読ぶりに眼をとめて、珍しく強い調子で、そんなやり方を続けていると、
  「芥川さんのようになるよ」と、警告した。短時間のあいだに、全く異なる多くの主題を、
  脳のなかに注入しつづけることは、やがて精神的破産を招くだろうと言うのである。/
  そうして、「ぼくたちの仲間では、いちばん芥川さんに近いのは、小林なんだよ」と、
  『歯車』の作者で唯一の弟子であった堀さんは、自分の文学青年時代の親しい友人だった
  小林さんのことも同時に批判して、自分は芥川の破滅直後から、先生とは正反対の生き方
  をする決意をすることで、生き延びたのだと告白した[原文は「正反対」に傍点]。/
  そうして、一冊の本のなかに、半月くらい注意を釘付けにする、アダジオの読み方を、
  モーリアックのグラッセ版の頁を開いて、その頁に、堀さん自身の手で、各種の色鉛筆
  による線や枠で、行をかこんであるのを見せて、実物教育してくれた。

色々とインスパイアされる回想だが、ショーペンハウアーの読書論とも通底しそう(^^)

ただ、このエピソードには諸本により異同がある(^_^;) 坪内も引用した『中村真一郎評論
集成4 近代の作家たち』(岩波書店,1984)所収の「ある文学的系譜」(新潮1979年5月号
が初出で『芥川・堀・立原の文学と生』[新潮選書,1980]に収録の由)では(同書344頁)、

  また、彼は年少の私が速い速度で次つぎと本を読み漁るのを見ると、「君、そんなに速く
  本を読むと、芥川さんみたいになってしまうよ」と警告し、「芥川さんは本を速くしか
  読めない人だった」と回想した。堀の読書の入念な遅読ぶりは、傍らで見ている私には
  驚嘆すべきもので、それは読んでいるというより著者の執筆時の時間を追体験している
  かに思えた。一度、彼の眼を経た本の頁は、各色の色鉛筆に囲われて彩色地図のように
  変化した。

こちらはポイントが多読ではなく速読になってるし、小林秀雄の話は全く出てこない(^_^;)
それにつけても堀辰雄の蔵書の実物を一度手に取って眺めてみたくなるね(^^) また1989年に
静岡新聞に連載した「わが青春」を加筆したという『愛と善と文学~わが回想』(岩波新書,
1989)130頁だと、

  私は毎週月曜の朝、その週に読む本のジャンル別リストを作り、日曜の晩にそれを書き
  変えて、毎日十冊ぐらいの本に目を通していた。そうしなければ私の知的探究に追いつけ
  なかったのである。/しかし、そうした文字通りの濫読を見て、堀辰雄はその読書ぶりが
  氏の師である芥川龍之介を思わせるとして忠告し、そうした習慣を続けると遂には
  芥川さんのように精神的破滅を惹き起すだろうと警告した。「芥川さんは、本を早くしか
  読めない人だった。」と、堀さんは言った。現に、芥川さんはひと月かそこいらで英訳の
  バルザック選集十冊だかを読了したという伝説があった。

でも多読と速読は必ずしもイコールではないはず(^_^;) 更に日経新聞連載(1993年)に加筆
した限定1000冊の『私の履歴書』(ふらんす堂,1997)95頁や同書も収録した『全ての人は
過ぎて行く』(新潮社,1998)94頁では、

  本に関することになると、そのように見境いのないところは、その先生の芥川龍之介譲り
  なのかも知れなかった。そのようにして急に親しくなった堀さんは、自分もいつも洋書を
  手から離さないくせに、私の乱読をいましめて、本はゆっくりと時間をかけて読むように、
  そうでないと、「芥川さんのようになるよ」と忠告してくれた。

これは味気ないね(..) さて、このエピソードの肝は小林秀雄にもあるはずだが、どの本にも
小林が登場しないし、そもそも『私の履歴書』83頁や『全ての人は過ぎて行く』83頁では、
小林との「初対面」を東大仏文科進学後と回顧していて、「・・・旧制高校に入学して、・・・
十七歳の春、・・・偶然が小林秀雄さんの口を借りて、私に・・・教えてくれた。」という
前掲誌44頁の件は時系列的にありえなくなるのだが(^_^;) まぁ、面白かったからいいや(^^)

そんなわけで(?)、中村真一郎『女たち』(中公文庫,1980)読了(^^) 再読な気もした(+_+)

プロポーズをしたら、年の離れたお相手の女性は「考えるための材料」がほしいと言うので、
美術史家の主人公が書いて与えた過去の女性遍歴を告白した長い手紙という長篇小説(^_^;)
独白体となってるけど、『赤頭巾ちゃん気をつけて』のように軽妙ではない(^_^;)というのは、
主人公による登場人物の心理描写・心理分析がメチャ凄くて、しかも改行がほとんどなく毎頁
活字びっしりで速読も無理かと(^_^;) 小説の舞台は戦前から戦中を経て戦後の日本だけど、
岩波文庫の赤500番台に入ってても違和感なし(^^) じっくり腰を据えて読めるなら面白い(^^)

なお、ショウペンハウエル前掲書に収録の一篇「思索」の冒頭(同書5頁)に、

  数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、
  数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、
  知識のばあいも事情はまったく同様である。

とあるけど、2015年5月11日に取り上げた、宙花こよりの本では蔵書を整理できなかった(;_;)
そこでブログ紹介文も加筆し蔵書整理・目録も兼ねてブログに蔵書をメモり始めた次第(^_^;)

本棚を調べると『女たち』の他に所蔵してたのは以下の本(寄稿のある雑誌・ムックは除く)。

中村真一郎『日本古典にみる性と愛』(新潮選書,1975)
中村真一郎『頼山陽とその時代』上・中・下(中公文庫,1976~77)
中村真一郎『色好みの構造~王朝文化の深層』(岩波新書,1985)

日本の古典作品を全く読んでないから、選書と新書のは多分チンプンカンプンかな(+_+)
文庫のは文部大臣賞を受賞した著者の代表作の1つだが、頼山陽のこと詳しくないので、
今の小生ではおそらく歯が立ちませんわ(;_;) 頼山陽の「日本外史」も取り上げていた
小島毅『父が子に語る日本史』(トランスビュー,2008)は前に読んで勉強になったけど、
同『足利義満 消された日本国王』(光文社新書,2008)ほど面白くなかった記憶が(-_-)
勿論、それは同書のせいではなく、単に小生の興味・関心との齟齬のせいだけどね(^_^;)
興味・関心がない本は、名著だったとしても、他人の思考過程の跡すら頭に残らん(;_;)

なぜか「ルウベンスの偽画」や「聖家族」を読み直したくなった(^^)

[追記161031]

森銑三&柴田宵曲『書物』(岩波文庫,1997)巻末の「解説」で、中村真一郎は次のように記す(^^)

  私の先師、堀辰雄は、大学生の私がきりのない乱読に耽っているのを見て、「芥川さんのように
  なるよ」と警めた。精神の過重な放蕩が、堀さんの先生の芥川龍之介のような、頭脳の分裂を
  引き起し、死に導かれるという憂慮を表明したのだった。
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