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海音寺潮五郎『随筆 日本歴史を散歩する』

次回につづくと前回末尾に書いたが、謝罪は早い方が良いし、
年賀状書きの現実から逃避して一文を草してみた(+_+)

6月5日の齊藤貴子『肖像画で読み解くイギリス史』(PHP新書,2014)の記事で、
PHP新書はハズレを引くことが多いという話のついでに書いた件を先ずは再録する。

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PHPつながりで、書いておくと、
海音寺潮五郎『日本歴史を散歩する』(PHP文庫,1988)に収録されている
「鉄砲談義」と題した歴史随筆の最初の方に次の一文がある(同書116頁)。

  広漠の海上で、二つの海賊団隊は終日はげしく戦ったが、王直の方利あらず、
  わずかに王直の乗った船一隻が地路をひらいて脱出することができた。

この王直の船が「種子ヶ島」に漂着して「鉄砲伝来」となるのだが、
「海上で・・・戦ったが・・・船一隻が地路をひらいて脱出・・・」とは???
船が地上を進むのか??? まさか王直の船は水陸両用なのか???

同書は『随筆 日本歴史を散歩する』(鱒書房,1956)を文庫化したものだが、
鱒書房の単行本は持っていない。でも、この「鉄砲談義」と全く同じ文章が、
「鉄砲伝来異聞」と題して『日本の名匠』(中公文庫,1978→改版2005)に収録されてる
(厳密には、PHP文庫のは、節見出しが付き、また1行だけ文章の順番が入れ替わってる)。
そこで、『日本の名匠』の方から該当する文を引く(同書226頁=改版253頁)。

  広漠の海上で、二つの海賊団隊は終日はげしく戦ったが、王直の方利あらず、
  わずかに王直の乗った船一隻が血路をひらいて脱出することができた。

PHPの編集者(下請け編集プロダクションの人間?)は、
「血路」を「チロ」と間違って読んだ上に、「地路」と誤変換して、
船が地を行くおかしさに気付かないなんて、2重に馬鹿でしょ(^_^;)

なお、1行だけ文章の順番が入れ替わっていると指摘したけど、
そのPHP文庫123頁と中公文庫232頁=改版260頁とを比べると、
PHP文庫のは文章の流れが不自然だから、これもミスだな(`^´)

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この海音寺潮五郎『随筆 日本歴史を散歩する』(鱒書房,1956)が手に入った(^^)v

「鉄砲談義」を早速確認したが、本書120頁は「血路」だった(-"-) 当然だわな^_^;

ただ、「1行だけ文章の順番が入れ替わっている」点は、本書128頁でも同様だったので、
こちらは「ミス」ではないことが分り(「節見出し」も本書には付いていた)、この点は、
「PHPの編集者(下請け編集プロダクションの人間?)」の皆様にお詫びしますm(__)m

さて、本書は収録した各篇の初出が出てないけど、書下ろしとは考えにくい内容構成^_^;

海音寺の著作リストの機能をほぼ代替する年譜としては、管見によれば、次のものがある。

①大衆文学研究会編「海音寺潮五郎年譜」
 『カラー版国民の文学 15 海音寺潮五郎 天と地と』(河出書房新社,1969)

②大衆文学研究会編「海音寺潮五郎年譜」
 『海音寺潮五郎全集 第二十一巻 史論と歴史随筆』(朝日新聞社,1971)

③尾崎秀樹編「年譜」
 『海音寺潮五郎短篇総集(八)』(講談社文庫,1979)

④磯貝勝太郎編「年譜」
 『新装版 孫子(下)』(講談社文庫,2008)

①と②には、1952年11月に「鉄砲伝来」を「六年の学習」に発表したとあるんだけど、
コレが大元なのかなぁ(..) もしそうなら当時の六年生はレヴェルが高かったんだな^_^;

小生が入手したのは「昭和三十一年四月五日 四版」で、そのカバーの袖の部分には順番に
番号付けされた鱒書房「歴史新書」27冊が紹介され、海音寺作品3点も含むが、その内の
『⑳ 幕末風雲録』は全くの初見(@_@) 「一二〇円」と値段も付いてるし、刊行済っぽいが、
①~④のどれにも出てない(@_@;) ④には1955年11月に鱒書房歴史新書で海音寺潮五郎
&芦間圭『⑮ 黒田加賀伊達お家騒動』刊行とあるから、翌年4月までの間に『幕末風雲録』
は出たと思われるのだが、一応ネットで国会図書館も調べたけどヒットしない(+_+)

思い出したからメモっておくが、立川談志『談志楽屋噺』(文春文庫,1990)205頁に、

  円楽がインタビューされて吹いている。/
  「本はよくお読みになるんですか」に、円楽、/
  「よく読みますヨ。若いころ図書館にいったら、〝もうあなたの読む本はありません〟
  と言われた」/
  言やがったネ、吹きゃがったネ。癪だから、私もそこにしゃしゃり出て、/
  「私もそうだヨ、このあいだ国会図書館にいったら言われたヨ。〝もう、先生の読む本は
  国会図書館にありません〟とネ」

円楽らしいし、談志は面白い(^^) ただ、国会図書館に収蔵・納本されてない本も実際ある(..)

でも、国会図書館を調べて、やはり①~④に出てない海音寺潮五郎&曲木磯六『関ヶ原軍記』
(鱒書房歴史新書,1956)という小生の知らない作品も存在することが分かったのは収穫(^^)v

年譜と言えば、短篇「椎の夏木立」の初出も、〈迷走〉してる上に、ミステリーが^_^;
ちなみに、同作品を最初に収録したらしい『南風薩摩歌』(同光社,1956)は未見m(__)m
では、同作品の初出に関する説(?)を順番に紹介していこう^_^;

1952年「富士」説
「椎の夏木立」を収録した『海音寺潮五郎全集 第十四巻 短編一』(朝日新聞社,1970)
578頁は、「(昭和二十七年「富士」)」とし、②も1952年に同作品を「富士」に発表と
記してはいるが、ともに発表した月は書かれていない。

1952年6月「富士」説
その後、「富士」を調べたのか、同作品を収録した『海音寺潮五郎短篇総集(四)』
(講談社文庫,1978)408頁で、磯貝勝太郎の「解説」は「昭和27・6「富士」」とした。
尾崎秀樹の③も同様に1952年6月「富士」とした。しかも、磯貝は次のように解説する。

  米軍による日本占領期間中には、時代小説は封建制礼賛の小説とみなされたために、
  武家ものを書いては、とうてい占領軍の検閲をパスすることはできなかった。武家時代に
  取材した作品を書くのを断念した海音寺潮五郎は、王朝時代と中国に題材を得た作品に
  活路を見出した。昭和二十四年に発表された「遙州畸人伝」は、西南戦争の時に起きた
  [「椎の夏木立」の]北原藤左衛門老人にまつわる逸話を中国ものとして巧妙に仕立て、
  検閲をパスさせた作品である。占領期間が終った後、作者は「遙州畸人伝」を
  西南戦争時のことに還元して、「椎の夏木立」を書いた。

初出(発表年月・掲載誌)不明説
だが、その後、同作品を収録した『田原坂 小説集・西南戦争』(文春文庫,1990)314頁で
尾崎秀樹による「解説」は何故か同作品の初出だけ発表年月も掲載誌も言及してない(@_@)
尾崎は③で1952年6月「富士」説を採ったのに、これには深い意味でもあるのか・・・(..)

1952年10月「富士」説
『新装版 列藩騒動録(下)』(講談社文庫,2007)に収録されてる磯貝勝太郎による年譜が
1952年10月「富士」とし、その最新版となる磯貝の④もまた同じで、更に未発表だった
「戦袍日記」収録の2011年の新装版『田原坂 小説集・西南戦争』文春文庫407頁の「解説」
でも、磯貝は「昭和27・10「富士」」とする。前に6月としてたのを何故修正したのかは謎(..)
しかも、不審なことに、ネットで国会図書館を検索した限りでは、同作品掲載の「富士」は
「1952-06」なのだが・・・とまれ、この文春文庫408頁でも磯貝は次のように解説する。

  米軍による占領期間中は、歴史・時代小説は、発表することを禁じられていたので、
  昭和二十四年、この作品を巧妙に中国ものの「遙州畸人伝」に仕立てて、雑誌に発表し、
  検閲をパスさせた。その後、占領期間が終るや、「遙州畸人伝」を西南戦争の小説に
  還元して、昭和二十七年、「富士」に発表したのである。  

「この作品を・・・に仕立てて」という件が引っかかる(..) 何か示唆してるのか・・・(..)

この「遙州畸人伝」は、管見では『海音寺潮五郎短篇総集(二)』(講談社文庫,1978)と
『中国妖艶伝』(文春文庫,1991)に収録されてて(単行本は『かぶき大名』[講談社,1972]
と『妖艶伝』[毎日新聞社,1985]にも収録も両書は未見)、先に引用した磯貝勝太郎の解説の
典拠と思われる(両文庫の「解説」でも磯貝は言及)、海音寺自身による次の付記も前者の
331~332頁には再録されている。

  (作者敬白)/米軍の日本占領期間中、わたしは日本の武家時代に取材した小説を書く
  のをやめていました。占領軍の検閲に引っかかって不愉快な思いをしたことがつづけて
  二回あったからでした。わたしは王朝時代と中国に取材したものを書くことで、糊口の
  方途を講じました。この作品もその期間中のものです。/実を申しますと、この作品の
  中心になる話は、西南戦争の際、わたしの村にあったことで、老人のモデルはわたしの
  小学校時代の友人の祖父にあたる人です。しかし、これを日本のものとして書いては、
  とうてい検閲をパスすることは出来ませんので、中国のことにして書きまして、二十四年
  の四月に「大衆小説」という雑誌に発表しました。検閲当局はみごとにだまされて、パス
  させました。/占領期間がおわった後、わたしはこれを西南戦争時のことに還元して、
  改めて、たしか「富士」だったと思いますが、発表しました。「椎の夏木立」がそれです。
  /わたくし共、戦前、戦中、占領期間をずっと作家であった者は、いつもこういう工夫を
  こらしては、当局をたぶらかして作品を書いたのです。何をどう書いても、決して処罰
  などされない現代の作家諸君にはまるでわからない苦労でしょう。しかしこういう工夫を
  して、当局をしてやることも、案外楽しみなものでしたよ。おひまがありますなら、
  「椎の夏木立」と読みくらべていただきたいと思います。/(昭和四十七年)
  
作家でなくても、色々と考えさせられる内容(;_;) ただ、現代も〈検閲〉はあるかも・・・

以上、海音寺作品の専門家の間でも「椎の夏木立」の初出の問題は迷走している観があるが、
スカラベ・ヒロシ(坂口博)による掲示板「スカラベ広場Ⅱ」への2014年4月7日の次の投稿
「「月刊西日本」と「月刊西日本」」によって新たな謎が・・・

  http://8611.teacup.com/marimie3/bbs/1882

  西日本新聞社が出していた「月刊西日本」については、前にも触れたことがある
  (ネット検索したら、2008.7.29の書き込みがヒットした)。/どのような小説・文学
  作品が掲載されていたかが気になるので、不明だった8冊のうち、3冊は入手。昨日届いた
  1944年12月号には、海音寺潮五郎の短篇時代小説「椎の夏木立」が載っていた。・・・

もう何が何だか分からんぞ(@_@;) 海音寺による「作者敬白」は何だったんだ(@_@)

海図も頼りにならず逆潮で小舟は陸に上がりそう(+_+) 全作品読破も夢のまた夢(;_;)

[追記160107]

ひぇ~表題作の書名を間違えてたことに今頃(!)気付いて当該個所を全て訂正m(__)m

関係ないけど、久しぶりに地元のブックオフに行ったら、文庫の棚でテーマ別の分類が
増えてて、無謀なことやるなぁと思いつつ眺めてたら、「家庭・暮らし」のところに、
片岡義男『人生は野菜スープ』角川文庫が入ってた^_^; 小生としては、不便だな(..)

[追記160130]

「椎の夏木立」を最初に収録したっぽい海音寺潮五郎『大衆小説名作選 南風薩摩歌』
(同光社,1956)を某図書館で閲覧したが(wikiの「海音寺潮五郎」から漏れてるね)、
初出情報記載なし。その収録作品は、唐薯武士、風塵帖、黄昏の丘、キンキラキン物語、
椎の夏木立、柚木父子、南風薩摩歌。なお、1938年に八紘社から同名の本が出ているが、
国会図書館をネット検索した限り、その収録作品は、南風薩摩歌、南島鐵砲記、戀涅槃、
阿蘭陀の旗、再會、島の西鄕、一夢物語、朝霧帖、薩摩隼人の9作品で全く異なってる。
萩尾望都の連載が終了するまで、デュマ『王妃マルゴ』を読むのは我慢すべきかな^_^;
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