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荒川秀俊『お天気日本史』

所詮は気象庁による大本営発表か?
予報が外れても気象予報士は申し訳なさそうな素振りもないが
丸山真男なら日本的な無責任の体系を見出すんじゃないか(`^´)
もはや毎場所、期待通りに期待を裏切るキセノンを連想させられるよ(;_;)
それでも福岡センセの選挙予測よりは当たってそうだけどさ(^_^;)

荒川秀俊『お天気日本史』(河出文庫,1988)は前に(ある記事への追記で)取り上げたけど、
本書53~54頁に「暴風警報と測候所長」と題した短いけれど何とも重~い一篇が収録されてる。
その内容を要約して紹介すると・・・

1921年(大正10年)9月25日朝9時頃には奄美大島の東300km 高知の南500kmにあった
強い台風が、急に進路を変えて、急ピッチで北に進み始めた結果、富山県の伏木(伏木町は
後に高岡市に編入合併)の測候所も、この台風襲来は予測不可能で警報を出せなかったらしく、
26日未明から風は強くなり、風速は最大毎秒26.8mに達し、この暴風激浪のため伏木港内外で
漁船1250隻が沈没、死者は400人にのぼり、泊海岸には漁船86隻、死者156人が漂着(+_+)

ここからは原文(本書54頁)を引用しよう。

  この夜も伏木測候所には若い技術員がひとり当直していたが、突然のことで適切な処置を
  とることができず、翌朝大森虎之助所長が出勤したときには、すべてが手遅れと
  なっていた。当然のことだが、これは富山県下の大問題となり、新聞も筆をそろえて
  測候所の失策を非難した。大森所長はこの批判に甘んじた。黙々と事務を整理し、
  経過報告書を作り、遺書をのこして、十一月二十六日魚津埠頭に身をなげた。

「黙々と事務を整理し、経過報告書を作り」が職務を全うする責任感の強さでヨリ切ない(:_;)
荒川と同様、自殺してまで責任をとるというのはどうかと思うが、ただただ同情するよ(;_;)

伏木と言えば、鉄なら氷見線で、宮脇俊三の名著『時刻表2万キロ』角川文庫版(1984)21頁も

  伏木に近づくと貯木場のなかを行くようになり、水に漬かった原木がたくさん見える。
  さすがにパルプと紙の町である。伏木のつぎの越中国分から富山湾岸へ出、海へ落っこち
  そうなきわどいところを走るうちに、・・・

と描き、爆笑鉄漫画の菊池直恵&旅の案内人 横見浩彦『鉄子の旅』第5集(小学館,2006)も
第35旅「氷見線・万葉線・富山地方鉄道~タダと海がいっぱい♡」を収録し、表紙カバーの風景は
氷見線の越中国分駅―雨晴駅間の車窓からの美しい海だけど、複雑な気持ちになるね(..)

さて、日本を代表する気象学者の1人だった荒川は、この一篇を次の文章で締め括っている。

  気象界では、いまだにこの事件はことあるごとに想起されている悲しい出来事である。

そうなん?予報を外してもヘラヘラしてる気象予報士の態度を視てると俄には信じ難いぞ(+_+)

ところで、この伏木測候所長の一件を「気象界」出身の作家が小説化してて気になっていた(..)
新田次郎による「迷走台風」という短篇がソレだ(同『怒涛の中に』[文春文庫,1979]所収)。
完全にネタバレになってしまうので、そのあらすじは次回紹介する(^_^;)

次回につづくm(__)m

[追記]
「迷走台風」は(『強力伝』で直木賞を受賞したのと同年の)1956年の「臨時増刊サンデー毎日」
新春特別号に掲載されたのが初出なので、新田次郎はまだ気象庁に在職中でしたね(+_+)
故に上述の〈・・・「気象界」出身の作家が小説化してて・・・〉との記述は不正確でしたm(__)m

原武史『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書,2003)が「海の見える車窓十選」として、この
「JR氷見線 雨晴付近(富山県)」を選んでたことに言及するのを忘れてた(同書230頁)。なお、
「南海電気鉄道 鳥取ノ荘―箱作間(大阪府)」も選ばれてるけど(同書231頁)、箱作駅に行く
用事が何度かあって、その度にこの景色を楽しんだけど、いかんせん時間が短すぎるね(^_^;)

記事のタイトルを内容に即して変更しましたm(__)m
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